人間国宝で大蔵流狂言方の能楽師、四世茂山千作さんが93歳で逝去

朝にネットで訃報を目にした時は愕然とするしかありませんでした(しかもよりにもよってブル8を聴いてた時に・・・)。

ご高齢なのでいつかはと思っていたつもりでも、いざとなると絶句するしかないわけで・・・いつか観た『福の神』、舞台に立っているだけでホンマに福の神が現れたような印象と和やかな笑いに包まれた雰囲気は今でも鮮明に覚えています。

謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

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茂山千作さん死去 人間国宝の狂言師、93歳
【京都新聞 2013年5月23日】

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 狂言界の最長老で人間国宝の大蔵流狂言師、四世茂山千作(しげやま・せんさく、本名七五三=しめ)さんが23日午前0時15分、肺がんのため京都市上京区の自宅で死去した。93歳。同市出身。葬儀・告別式は27日午後1時、左京区黒谷町121の金戒光明寺で。喪主は長男千五郎(せんごろう)さん。

 1919年、三世千作の長男として生まれた。4歳の時「以呂波(いろは)」で初舞台。66年、茂山家の当主名である十二世千五郎を襲名、94年から隠居名の四世千作を名乗った。89年重要無形文化財保持者(人間国宝)、91年日本芸術院会員、勲四等旭日小綬章、2000年文化功労者。07年に狂言界で初の文化勲章を受けた。

 祖父(二世千作)と父から仕込まれた伝統芸の骨格を踏まえ、正統派の狂言を継承。同時に、弟の千之丞さんとともに歌舞伎や新劇など他分野との共演や交流に意欲的に取り組んだ。なかでも武智鉄二、飯沢匡、木下順二の各氏らと取り組んだ新作狂言や実験的な舞台は、戦後の日本の演劇界に大きな影響を与えた。

 天衣無縫の芸、おおらかで飾らない人柄が多くの人に愛された。57年から京都で始まった「市民狂言会」をはじめ、全国の小中学校を巡演するなど古典の普及にも尽力、今日の狂言人気の礎を兄弟で築いた。

 10年に千之丞さんを亡くした後、肺を患い、呼吸補助器と車いすの生活を続けていた。昨年3月、金剛能楽堂(京都市上京区)での茂山狂言会で小謡を披露したのが最後の舞台となった。

 

茂山千作さん死去 平成の狂言ブーム生む【京都新聞 2013年5月23日】

 狂言師で人間国宝の茂山千作さんが23日、93歳で亡くなった。戦後、苦境にあった狂言を弟の故千之丞さんとともに立て直し、古典芸能の枠を超えて広く普及させた。おおらかな人格、芸風でも親しまれ、各界から悼む声が相次いだ。

 狂言の神さまが作り上げた究極の役者だった。

 見ているだけで幸せな気分になる。福の神のような。橋がかりの幕の向こうに気配がするだけで、客席はざわめいた。千作さんの発する一言を待ち構える。味のあるしわがれた声が響くと、笑いが弾けた。観客は心地よく千作ワールドへ引き込まれた。

 どの瞬間を切り取っても、絵になる。小柄で、顔には笑いじわ。喜び、怒り、哀しみも楽しみも刻み込まれた体。このたぐいまれなる「武器」を使って、とぼけた大名、お人よしの太郎冠者、したたかで愛すべき庶民の姿を演じた。

 長男の十三世千五郎さんら3人の息子や、正邦さんら4人の孫、さらにひ孫や弟子を加えると総勢20人を超える茂山家一門だが、戦後はどん底にあえいでいた。

 弟の千之丞さんとともに京都の小中学校を地道に回り、全国へ。「生徒が騒がしゅうするもんやさかい、(声が)こんなガラガラになってしもた。もとは千之丞みたいに美声やったんですけどな」。お呼びがかかれば、地域の公民館、集会所にまで足を運んだ。「われわれの狂言は、高級料理にも、庶民の食卓にも上る。それが『お豆腐狂言』です」と胸を張った。

 歌舞伎や新劇の役者とも積極的に共演した。当時、旧態依然の能楽協会は、あまりに斬新な舞台に、千作・千之丞兄弟に「退会勧告」を出した。しかし2人の人気と勢いに押され、結局沙汰やみに。この旺盛な好奇心と反骨の精神が平成の狂言ブームに結実した。

 年齢を重ねても、舞台への情熱は衰えなかった。「新しいのを覚えるのは辛うおす」と言いながら、哲学者の梅原猛さんが書き下ろした新作、スーパー狂言の全てに出演した。大国の戦争を皮肉った「王様と恐竜」では、自由の女神を模した冠にちょびひげ姿。客席の爆笑を呼んだ。

 取材記者に対しても、舞台と同様のおとぼけぶり。「はて、今日は何の取材でしたかいな」-。おおらかな芸風そのままの人柄だった。

 好きな演目は、太郎冠者が活躍する「木六駄(きろくだ)」や「棒縛(ぼうしばり)」。そして、せっかくもらった晴れ着の素袍(すおう)を酔って落としてしまう、少々反抗的だが人のよい太郎冠者が登場する「素袍落(おとし)」。「私も昔は酒をよく飲みましたから、酒飲みの気持ちはよう分かります」

 しかし、2010年末に千之丞さんを失った衝撃は大きかった。直後に肺炎を患い、以降、舞台からは遠ざかった。それでも、時に酸素吸入の機械を後見に持たせて舞台に上がり、渾身(こんしん)の独吟や小謡を響かせ、客席を沸かせた。

 名狂言師はゆっくりと退場した。誰からも愛された、屈託のない笑顔と笑い声を残して。

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〔※写真:「粟田口」の舞台で、太郎冠者を演じる四世茂山千作さん(右、当時は千五郎)。祖父の二世千作さんと共演した=1939年11月〕