ティモシー・スナイダー『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』『ブラックアース―― ホロコーストの歴史と警告』

今日5月8日は“VEデー(Victory in Europe Day:ヨーロッパ戦勝記念日)”、第二次世界大戦で連合国がドイツを降伏させた、ヨーロッパにおける勝利を記念する日です。1945年の5月8日・・・細かく言うとロンドン基準の西ヨーロッパ夏時間で1945年5月8日23時15分・・・にベルリンで降伏批准文書が調印されたことに由来するのだそうですが、今年の欧州の5月8日は前日に行われたフランス大統領選挙の決選投票で反EU極右マリーヌ・ル・ペンが敗れた余韻冷めやらぬひとときでしょうから、よほど英語・仏語のニュースを漁ってみないと、日本からは現地の雰囲気がわかりにくいかもしれません。

たとえば、イギリス労働党ジェレミー・コービン党首のコメントツイート
“On #VEday, we remember the horrors of the Second World War, commemorate all who lost their lives & renew our commitment to a peaceful world.”


#VEday」ってハッシュタグがあるんですね。

閑話休題

イェール大学のティモシー・スナイダー教授、私と同い歳なのにオックスフォードで博士号とって膨大な資料をくまなく地道にあさって、その成果をキッチリまとめて著書を世に出せるなんて凄いリスペクトなんですけど―――いやだって何か国語とかいう以前にロシア語や東欧諸国の言語の記録を読むのにキリル文字とイディッシュ語もヘブライ文字使ってたらとか思うと私なんてクラクラ目眩しそうなんですけど(苦笑)―――、『ブラッドランド』でナチズムとスターリニズムが犯した大罪を徹底的に深く掘り下げて弾劾し、『ブラックアース』ではナチズムとスターリニズムに間に埋もれた大中小のホロコースト(またはホロコースト的な何か)を暴きだすとともに、ヒトラーとスターリンが彼らの配下とともに行った行為が実に政治的科学的にロジカルで計画性あるものであり、現代でもその再現可能性への壁は私達が楽観してるほど高くはないことを「終章 私たちの世界」で鋭く警告してきます。その警告のなかの一部は、もしかしたらナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』と共鳴する部分があるかもしれません。こんな記述があります。

“実際には、イラクという主権国家へのアメリカの違法な侵攻によって突然引き起こされたうち続く出来事は、第二次世界大戦の歴史からの学習されていない教訓の一つを確認しただけだった。”[※下巻190頁]

VEデーのこの日―――日本だったら沖縄戦終結の6月23日だったり玉音放送の8月15日だったりでしょうけど―――、私たちは何を心すべきなのでしょう?スナイダー教授は『ブラッドランド』の結論の章『人間性(ヒューマニティ)』で「われわれヒューマニストの責務は、数値を人に戻すことだ。」と説いています。

“われわれは死者の数を集計するだけではなく、犠牲者ひとりひとりを個人として扱い、向き合うことができなければならない。綿密な調査を拒むひとつの大きな数値は、ホロコーストのそれだ。570万人のユダヤ人が亡くなり、そのうち540万人がドイツ人に殺された。しかしほかの数値と同じくこの数値も、ほとんどの人が把握できない570万という抽象的な数と見てはいけない。1×(かける)570万と考えるべきなのだ。
〈中略〉
流血地帯の大量殺人史では、レニングラード包囲戦で餓死した市民「1人×100万」、1941年から44年にかけてドイツ人に殺害されたことが明白なソヴィエト人捕虜「1人×310万」、あるいは1932年から33年にかけてソ連政権によって餓死させられたことが明らかなウクライナ農民「1人×330万」も記憶にふくめなければならない。”[※下巻276-7頁]

ならば、仮に音楽で報いるとしたら、どこか節目の日にブリテンの『戦争レクイエム』やショスタコーヴィチの交響曲第13番『バビ・ヤール』などを演奏するだけでは全然足りなくて、膨大な年数と人的コストをかけてでも、人数分の、ヴェルディの『レクイエム』をアレッサンドロ・マンゾーニから宛名をそれぞれ変えて、コーヴェリのシナゴークにいた少女ドブツィア・カガンのために、1940年にNKVDにカティンで射殺されたポーランド人将校アダム・ソルスキのために、・・・1回でいいから演奏して哀悼を捧げる。「1×570万」等々というのはたとえばそういうことだと思います。

東欧史が専門というスナイダー教授が2冊の著書で顕にした犠牲者の数に負けず劣らな大勢の人々の屍の上に、満州利権とアヘン密売で富と権力を握った最低最悪の男=岸信介のボンクラ孫が首相に居座っている国で歴史修正主義が堂々とまかり通ってしまっている現在の日本だけれど、だからこそ彼のこの指摘は絶対に他人事にしてはいけません。

“ホロコーストの犠牲者にとっては、今更及ぶところではないが。いかに膨大なものであっても善をいくら積み上げたとて、悪(イーブル)を取り消すことはできない。いかに成功しようとも将来の救助が、過去における一件の殺害を起きなかったことにはできない。一人の命を救うことは世界を救うことだというのはおそらく正しいのだろう。けれど、逆は真ではないのだ。世界を救うことで、失われたただ一つの命も取り戻すことはできないのだから。 〈中略〉 ユダヤ人――老若男女のユダヤ人一人一人――に対してなされた悪(イーブル)は無かったことにはできない。けれども、それは記録されうるし、理解されうるのだ。実際、それと似たことが将来起きるのを防げるように、ホロコーストは理解されなければならないのだ。”[※『ブラックアース』下巻198-9頁]

ならば忘却は、ましてや記録抹消や証拠隠滅は、日本人、とりわけ大和民族を称する者たちには、絶対に許されない。

 

ティモシー・スナイダー『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 〈上〉』
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ティモシー・スナイダー『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 〈下〉』
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ティモシー・スナイダー『ブラックアース―― ホロコーストの歴史と警告 〈上〉』
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ティモシー・スナイダー『ブラックアース―― ホロコーストの歴史と警告 〈下〉』
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岡野八代さん「9.11以後の合衆国の武力反応への批判を再確認すること」

ツイッターから過去ログをサルベージ。

日付見たらもう3年前になるのですが、政治学者で同志社大教授の岡野八代さんの以下のツイート


↑に触発されて買って読んだ4冊、ウェンディ・ブラウン『寛容の帝国――現代リベラリズム批判』ジュディス・バトラー『生のあやうさ――哀悼と暴力の政治学』、同じくジュディス・バトラー『戦争の枠組み――生はいつ嘆きうるものであるのか』ドゥルシラ・コーネル『“理想”を擁護する――戦争・民主主義・政治闘争』は大きな糧になりました。

 

上記4冊に加えて、岡野さんの近著『戦争に抗する――ケアの倫理と平和の構想』と共訳で出されたアイリス・マリオン・ヤングの遺作『正義への責任』も今の日本の在り方を考える上でぜひ手をとってほしい書物だと思います。

岡野八代『戦争に抗する――ケアの倫理と平和の構想』
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アイリス・マリオン・ヤング『正義への責任』
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野中尚人/自民党政治の終わり

野中尚人『自民党政治の終わり』【ちくま新書、2008年刊】

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《内容》
戦後日本の長きにわたって政権党であり続けた自由民主党。派閥ごとに結束し、年功序列型の人事制度をもち、後援会と各種業界団体に支えられたこの巨大政党は今、機能不全を起こし、そのシステムの骨格は既に崩壊している。かつて自民党が圧倒的な強さを発揮しえたのはなぜか、それがいま存在感を失いつつあるのはなぜか。歴史の視点、さらには国際比較の視点をも交えながらその来歴を明らかにし、これからの日本政治を展望する。

飯尾潤『日本の統治構造』iconと同じ時期に読みました。飯尾氏の著書では官僚システムに比較的焦点を当てて分析をされている印象でしたが、この本ではタイトル通り“自民党”に、はじめにとりわけ小沢一郎(自民党時代)と小泉純一郎という2人の政治家に焦点を当てて自民党が行ってきた政治の全体像を描き、江戸期の日本との比較や英仏独との比較をしながら中身に分け入って振り返るといった趣旨の本です。

出版されたのが昨秋の自民党総裁選の時期のようですが、その1年後に文字通り終わりを迎えてしまったのですから、自民党の救いようの無さも極まれり、といった感じですね(苦笑)。ちなみに、著者の野中氏は今回の総選挙が終わってからNHKの解説委員室にこんな文章↓を寄せていました。

視点・論点 「新しい政治へ向けてのビッグ・バン」
学習院大学教授 野中尚人

 昨日8月30日、総選挙での国民の審判が下され、自公連立政権に代わり、民主党を中心とする新しい政権が誕生する見通しとなりました。

特に、半世紀以上にわたって戦後の日本政治を担ってきた自民党がまさに壊滅的とも言える大敗北を喫したことは、今回の総選挙を象徴する出来事といえます。今日は、このたびの選挙の意義は何なのか、こういう結果に至った理由は何なのか、そして鳩山新政権、ひいては日本政治全体にとっての今後の課題はどのようなものかといった点についてお話したいと思います。

 今回の総選挙が、ここまで衝撃的な大変化をもたらすことになったのは、一体なぜだったのでしょうか。私は、今回の選挙を「21世紀日本の新しい政治へ向けてのビッグ・バン」と呼んでみたいと考えています。

 つまり、個々の政策はもちろん、予算の決め方や補助金の配分といった仕組み、政治家と官僚との関係や政府と与党との関係、いわゆる国対政治の見直し、さらには国の中央政府と地方・自治体との関係といった行政の体制まで含めて、全てをゼロ・ベースで見直す、まったく新しい政治と行政の仕組みを作り出す出発点ということです。

戦後日本の政治は、私の言葉で言えば「自民党システム」という仕組みによって運営されてきました。実に堅固で競争力のある仕組みでした。その結果、1955年にスタートした自民党政権は、世界でも比類のない安定した長期政権となったのです。

私は、この自民党政権が、派閥や族議員の仕組みといったかなり独特な仕組みに支えられていた特殊なものだったと考えています。また、様々な汚職や腐敗とも無縁でなかったと思っています。しかし、総合的に見れば、戦後の貧しい日本を世界第2の経済大国に押し上げたのみならず、平等で安全な社会を築いたことも間違いありません。自民党政権の功績は実に偉大であったと思います。

 自民党システムの骨格を申し上げれば、それは、派閥と後援会による選挙、政調会を舞台として族議員が活躍する政策決定の仕組み、当選回数に基づく年功序列型の昇進のルールの中で世襲議員が幅を利かせる人事の仕組み、です。そして、これらの選挙、政策決定、人事という3つの柱が、派閥間・または議員個人間の競争のメカニズムを通じて、互いに緊密に関連し、支えあう仕組みでした。これこそが私の言う自民党システムの特徴だったのです。

 自民党システムのもう1つの特徴は、与党と行政との緊密な協働と棲み分けの体制です。端的に言って行政官僚の役割と比重は大変に大きかったということです。

 昨日の選挙結果は、半世紀にわたったこれらの自民党政権時代の仕組みが完全に立ち行かなくなったことに対して、国民がきっぱりと見切りをつけたということだと思います。

 それは、二重の意味で歴史的なものだったと思います。

 1つは、自民党が常に政権与党であり、野党は万年その地位に止まるという永久政権モデルが終わり、政権交代をベースとする新しい政治の仕組みに転換されたということです。

 もう1つは、行政官僚が本来の政治の領域でも大きな役割を果たしてきた、特殊な政官関係のパターンを抜本的に変革する、そのスタートが訪れたということです。官僚との共存が生み出してきた公共工事依存型の政策、補助金や随意契約を不可避とした天下りの仕組み、などの問題を「政治主導」の立場から仕切り直しする新しい出発点だと考えます。

 さて、ビッグ・バンの後の日本の政治には、あらゆる面で課題が山積しています。

 まず、鳩山新政権は、マニフェストで提示した政策を着実に実行しなければなりません。全てのことが一気に出来ないのはもちろんですが、子ども手当てや高校教育の無償化、あるいは雇用対策などを実施するためには、来年度の予算編成に向けて、早急に取り組むことが必要です。場合によっては、今年度の補正予算が必要かもしれません。

また、年金、医療や介護、などの様々な制度設計にもすぐさま取り掛かってもらわねばなりません。特に、巨額の財源の手当てはどうするのか、選挙期間中にも繰り返し指摘されてきた懸案について、いよいよ答えを出すことが要求される訳です。

 鳩山政権のもう1つの大きな課題は、政治主導体制への転換です。半世紀ぶりの本格的な政権交代ですから、単なる組閣に止まらないたくさんの問題があります。

国家戦略局や行政刷新会議、あるいは閣僚委員会といった新しい仕組みをしっかりと実施に移すことが出来るのか、これからの政権運営の帰趨を占う試金石になるのではないかと思います。

 また、100人の議員を政府に送り込むというやり方も、政治家と官僚との間に、本当の意味での役割分担と協力の仕組みが作れないと、実際には何の効果も生まないことになるかもしれません。

 いずれにしても、これからが正念場です。

 しかし実は、今後に向けた重い課題を背負っているのは、野に下った自民党も同じです。「55年体制」と呼ばれた大成功のモデルから根本的に脱皮し、全く新しい政党として再生させねばなりません。戦後政治を担った自民党システムは、もはや完全に過去のものとなったからです。

業界利益と密着した族議員政治、その結果としての政府と与党との二元的な仕組みはどうすれば解消できるのか、結局は世襲議員しか幹部に残らない人事の仕組みは何が修正されなければならないのか、小選挙区制に見合った選挙や人材育成の仕組みに転換するにはどうすれば良いのか。そして、派閥システムに代わる党内の柱はどうすべきなのか。前例に頼らない新しい知恵が是非とも必要なのです。

これらの大転換は、自民党にとってかつてない難問であり厳しい試練です。しかし、政権交代型の政治が機能するためにも、自民党がいかに素早く立ち直り、しっかりとした健全な野党になるのかが極めて重要です。

 冒頭で、今回の選挙はビッグ・バンであると申し上げました。その意味は、新政権や野党自民党がそれぞれに抱える課題に加えて、他の政党や国民、マス・メディアを含んで、いわば政治全体の土俵自体を作り変える作業が待っているということです。

 衆議院と参議院の間の関係は、どう改善すべきなのか。大臣の日程が極端に縛られることなど、国会の仕組みや慣行がかなり深刻な非効率に陥っているのをどうすれば良いのか。政治とカネの関係はどうするのか。ネットを使った選挙運動の扱いはもっとオープンにすべきではないか。議員の兼任や「選挙休職」の制度などによって、選挙競争をもっと活発にすべきではないのか。

グローバル化した21世紀に臨んで、改めて世界に通用する政治の仕組みが必要となっています。国民から負託を受けた政治的リーダーシップを通じて、合意を得つつ決断し実行する政治、私の言葉で言えば、「ヨーロッパ標準の議院内閣制」への本格的な転換が求められていると思います。

飯尾潤/日本の統治構造~官僚内閣制から議院内閣制へ

飯尾潤『日本の統治構造~官僚内閣制から議院内閣制へ』【中公新書、2007年刊】

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《内容》
独特の官僚内閣制のもと、政治家が大胆な指導力を発揮できず、大統領制の導入さえ主張されてきた戦後日本政治。しかし一九九〇年代以降の一連の改革は、首相に対してアメリカ大統領以上の権能を与えるなど、日本国憲法が意図した議院内閣制に変えた。本書は、議会、内閣、首相、政治家、官僚、政党など議院内閣制の基盤を通し、その歴史的・国際的比較から、日本という国家の統治システムを明らかにするものである

総選挙から1ヶ月、鳩山内閣が発足して2週間ほど。政治主導を掲げて様々な試みを行おうとしている民主党連立政権ですが、日本の新聞・TVは相変わらず・・・というかますます酷くなってる気もするのですが(苦笑)政局ゲームを半ばでっち上げて記事にするのみで、とある試みを彼らがなそうとする際の理由なり目的なりを過去と比較しながら分析し批評する、そういったことを社説ですらしていないように見えます。

ただ、現在のことはともかく過去を振り返る作業は新聞とかよりも書物などで纏まった文章を読む方が良いように思うし・・・と思って探してた時に、ネットで“飯尾潤”という名前を見かけました。政策研究大学院大学の教授で副学長もされていますが、民主党ともわりと縁のある方のようですね

詳しい書評が東京財団のサイトに掲載されていましたので中身についてはそちらを見てもらうこととして、この本ではまず半分ほどのスペースを割いて戦後の日本の政治・統治のあり方を分析、それから欧米主要国の政治制度との比較、そして現在の日本の政治制度の問題点と改革の方向性を示す、といった構成になってます。

これまでのあり方を“官僚内閣制”であり“省庁代表制”であったとし、そこに長らく政権与党であった自民党がどう絡み付いていってるかという分析は、文字数に制限のある新書というハンデを感じさせない説得力のあるもので、明晰でわかりやすくなされていると思います。Amazonのカスタマーレビューで軒並み高い評価が付されていますが、それも当然というべき良書でした。