京都市交響楽団 第618回定期演奏会(指揮:下野竜也)

パンフの解説を見てビックリしたのだけど、ジョン・アダムズの『ハルモニーレーレ』は1986年に日本初演(下野さん曰くケント・ナガノと新日フィル?だったかな)されて以来、一昨年に下野さんが読響の定期で採り上げるまで30年近く日本では誰も何処も演奏してなかったそうな。数ある在京オケがどこかしらやってそうに思ってたけど、そうでもないのんな・・・もちろん、西日本では今回の京響定期が初めて。欧米での知名度や評価、演奏頻度と日本の事情とのギャップはこういうところでもあるんですね。つべでも作曲者自身がベルリン・フィルを振ったのとか拾えるのにね。

プレトークは『ハルモニーレーレ』にちなんで和声に関するちょっとした豆知識的なお話。作曲家がある特定の(◯長調や◯短調といった)調に何かしら特別の意味合いを持たせることがあるということでモーツァルトやベートーヴェンを引き合いに出しながらお話しされて、ベートーヴェンは“変ホ長調”を交響曲第3番『英雄』と今回演奏するピアノ協奏曲第5番『皇帝』で用いてて(帰宅してググったら作品番号1-1のピアノ三重奏曲第1番にはじまり、弦楽四重奏曲第10番・第12番、七重奏曲、ヴァイオリンソナタ第3番、ピアノ三重奏曲第6番、ピアノソナタ第4番・第26番『告別』、エロイカ変奏曲、等々たくさんあるのな)、実は『ハルモニーレーレ』も変ホ長調で終わる、のだそうな。あとはミニマル・ミュージックには馴染みが無いだろうけど(そりゃまぁ京響の客層でフィリップ・グラスとか知ってる人は超レアでしょ)、でもその元祖はベートーヴェンの『運命』=交響曲第5番だと思ってて、今でこそ誰もが知ってるクラシックの名曲だけど、(200年前の当時)初めて聴いた人は驚いたはず。だから『ハルモニーレーレ』も100年後には普通に演奏されるようになるかもしれないという、“感じ”て聴いて欲しいと『ハルモニーレーレ』推しみたいな熱っぽいトークの締めでした。

 

京都市交響楽団 第618回定期演奏会
2017年11月25日(土)14時30分開演@京都コンサートホール

◆L.v.ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 Op.73
 (ピアノソロ・アンコール)
 ◇L.v.ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2〜第3楽章
(休憩)
◆ジョン・クーリッジ・アダムズ ハルモニーレーレ(和声学)

指揮:下野竜也
ピアノ:アンナ・フェドロヴァ
コンサートマスター:西江辰郎

 

今回のコンサートマスターは新日フィルのコンマス西江さん。隣が泉原さんで年齢の近い人同士のコンビ。

今日は個人的な都合で朝が早かったのと、元々お目当ての『ハルモニーレーレ』に集中したいがため、前半は遠慮なく爆睡してましたw アンコールに『月光』ソナタの終楽章というサービスっぷりでしたけど、可もなく不可もなく、といった印象。

そして今年一番の楽しみだった『ハルモニーレーレ』。ナクソス・ミュージック・ライブラリにマイケル・ティルソン=トーマスとサンフランシスコ交響楽団によるライヴ録音のディスクが登録されてて、私はずっとそれで聴いてて馴染んでいたのだけど、あれは32年前に世界初演を任されただけでなく、現音楽監督のティルソン=トーマスがジョン・アダムズ含めて自国モノを積極的に採り上げてオーケストラも慣れてるからこそ、難曲と思わせないほどスムーズに聴ける、ということを大いに痛感しました。

上から見ると下野さんのめくる総譜は付箋と思しきものがカラフルにいっぱい付けてあって、パート1で見られた光景だと、オーボエ首席の高山さんが三拍子に合わせて上半身を三角形を描くように揺すったり、フルート首席の上野さんが時々足でリズムをとったりとか、明らかにタテを合わせるためだけのアマチュアっぽい動作がどのパートにも目立ってて、ミス無く通すためだけで京響があんなに苦労してるの、私は初めて見たように思います。演奏終了後の疲労困憊の度が過ぎて、下野さんや団員の方々がレセプションに顔出すのが遅くなったというオチがあったほどで。それでも音楽評論家の東条碩夫さんが
「京響の優秀さは今に始まったことではなく、今やN響、読響とともに国内オケのベスト3に数えられる存在、と言っても過言ではないかもしれない。」
と称賛する
程度には、素晴らしい好演でした。

 下野竜也(京響常任首席客演指揮者)が指揮するジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」は、一昨年、読響との演奏を聴き、すこぶる気持のいい思いをした記憶がある。今回は文化庁・芸術文化振興基金の事後調査の仕事を兼ね、もう一度聴きに来た次第。

 プログラムの前半では、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」が、アンナ・フェドロヴァをソリストに迎えて演奏された。「ハルモニーレーレ」との組み合わせとしては意表を衝いたものだったが、これは曲の最後が変ホ長調で終ることと、「皇帝」が変ホ長調の曲であることを関連づけたためのようである。さすが下野竜也だ。
 今日のコンサートマスターは西江辰郎。

 フェドロヴァのピアノは細身の音だが、一つ一つの音に清澄な粒立ちがあり、音色が美しい。カデンツァなど、普通なら一気に均等に進んで行く音の流れの中で、時に強いアクセントを使って流れに変化を生じさせる弾き方が個性的だ。本来は豪壮な曲想の「皇帝」が、不思議に神経質な美しさを感じさせたのはそのためだろう。
 ただし下野と京響の演奏は、それをがっしりと支えるような、堂々たる風格のものであった。
 フェドロヴァはソロ・アンコールに、ベートーヴェンの「月光ソナタ」の終楽章を演奏したが、これも同じ特徴を持ったものだ。

 「ハルモニーレーレ」は、聴いた位置(1階15列中央)のためかもしれないが、以前サントリーホールで聴いた時と違い、オーケストラの内声部がリアルに聴き取れ、曲の面白さを倍加させてくれた。
 下野の指揮も相変わらず巧いものだと思うが、京響の張り切った力感と安定感、音色の多彩さにも舌を巻く。京響の優秀さは今に始まったことではなく、今やN響、読響とともに国内オケのベスト3に数えられる存在、と言っても過言ではないかもしれない。

 しかもカーテンコールの際に、客席に顔を向けた楽員たちの明るい表情と、笑顔の素晴らしさ。国内オケの中には、客席に一切顔を向けない団体とか、向けたとしても「そんなに拍手するほど良かったですかねェ」と言わんばかりの仏頂面をしている団体が多いのに比べ、これだけ聴衆との温かい交流を感じさせる京響の楽員は見上げたものと言わなければならない。

聴く方にとってはさほど身構える必要がなく楽しめると思うんですよ。私なんかはあのパット・メセニーが持てる才能を全振りしてクラシック音楽の曲を書いたらこういうのできるかも?みたいな感覚でいましたので、生演奏特有の三次元空間に大人数のステージから響いて反射する音が彩りキラキラ満載でとても素敵な印象を持ちましたけど(あの独特の良さがわからない人にはトコトン合わないのか途中で席を立つ人が散見されたけど実にモッタイナイ)、演奏する側にとっては変拍子が多い上にミニマル・ミュージック独特の進行がリズム感とかいろいろ狂わされるみたいで、暗闇の中トラップだらけの地雷原を歩いて進むような感覚だったかもと同情します。でもこうして1度本番を無事に終えられたので、2日目の明日は少し余裕が出てくるのではないでしょうか。明日26日に行く方は大いに期待していいと思います。

生で聴いて実感できたことですが、ジョン・アダムズは『ハルモニーレーレ』でミニマル・ミュージックだけでなく他にもいろんなギミックをつぎ込んでいて、それで尚かつ聴き手に敷居の高さを感じさせなくて面白い・楽しい・エキサイティング・綺麗・美しいと場面々々で多様なイメージを持たせてくれる、実に凄いことをやってのけているのではないですか。私の個人的印象では、ジャンルが異なりますけど、’80年代〜’90年代初頭のパット・メセニー・グループの音楽に初めて接した時の、それに少し近いような感じがしましたが、ともあれ傑作には間違いないでしょう。京響のカラーにもよく合うし、数年内での再演を、次はライヴ収録込みで強く希望します。

ジョン・アダムズ:ハルモニーレーレ/マイケル・ティルソン=トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団[SACD]
82193600532

 

 

 


京都市交響楽団 第611回定期演奏会(指揮:アレクサンダー・リープライヒ)

2017年度の最初の定期がいよいよ・・・なのですが、コンマスはここ最近と同様のパターン、1プルトのコンマス席には名フィル客演コンサートマスターの植村太郎さんで隣が尾崎さん。裏事情は存じませんが、やはり正規のコンマスの御二方が揃わないのは淋しいし、それだけでなく京響らしくなくて好ましくないように思います。ちなみに今晩はチェロ首席に上村さんが入ってました。

 

京都市交響楽団 第611回定期演奏会
2017年4月21日(金)19時開演@京都コンサートホール

◆F.メンデルスゾーン 序曲『フィンガルの洞窟』Op.26
◆F.ショパン ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op.21
 (ピアノ・ソロ・アンコール)
 ◇F.メンデルスゾーン 無言歌集 第3巻 Op.38〜第6曲 変イ長調『デュエット』
(休憩)
◆W.ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲

指揮:アレクサンダー・リープライヒ
ピアノ:北村朋幹
コンサートマスター:植村太郎

 

ショパンのPコンなんてぶっちゃけオーケストレーションに疎い出来損ないが書いた曲に過ぎないし、ソリストの男の子くんも特に何か光るようなものを持ってるようでもなく平均的なショパン弾き程度にしか感じなかったので、前半は元々期待してなかったけど結局その予想を裏切らない演奏に(苦笑)。

ともあれ、私にとってははじめからお目当てはルトスワフスキのオケコンだったわけですが、これが期待以上の大当たり!ワルシャワ・フィルによって初演されたこの曲、私は予習がてらにアントニ・ヴィト&ワルシャワ・フィルの録音を聴いてて、そして聴きながら、京響も(オケの力量はワルシャワ・フィルの方が上だしアントニ・ヴィトもトップクラスの巨匠でリープライヒよりも格上だけど)これくらいハイレベルな演奏をしてくれたらいいけどなぁ〜なんて思ってたわけですが、ホンマに文句なしのスバラな演奏が聴けるなんて、こいつぁハナから縁起がイイネェwwwでした。

リープライヒさんにとっても手兵のポーランド国立放送響と録音をリリースしているくらいなので十八番の曲なのか、それともプレトークで今でもアバンギャルドと評したのを意識してか、後半はわざわざジャケットの下を動きやすいシャツに着替えての指揮はとてもシャープかつ細部まで明瞭で、前半かったるかったのが嘘みたくガラッと正反対の、まさに手に汗握る熱演でした。ヴィルトゥオーソが要求される曲に対する京響の適応能力も流石といったところで、広いダイナミックレンジや快速・変速テンポにもよく対応できてゴージャスな雰囲気を醸し出してましたし、ソロの受け渡しとか随所に散りばめられたギミックが視覚で楽しめたのは生演奏ならではで皆さんパーフェクトでした。

そもそも、オケコンこと“管弦楽のための協奏曲”というジャンル?というか形態の曲、創始はパウル・ヒンデミットですが、実質的に嚆矢となったのはバルトーク最晩年の最高傑作である Sz.116 のそれで、作曲する側も演奏するオーケストラ側もそれぞれに、ソロ・グループやセクションのアンサンブル・全体のスペック、その各々をどれだけ引き出して魅力的に聴衆に見せるか、作曲者の管弦楽的技巧と力量、指揮者とオーケストラのレベルの高さ、双方が問われるわけですが、今晩のリープライヒ&京響によるルトスワフスキのオケコンの演奏は、そうしたものをたっぷりと堪能できる素晴らしい演奏で、素敵な幸福感に満ちたひとときを過ごせた印象でした。

そして、やっぱり京響は前回のマラ8や今回のルトスワフスキのオケコンのような、管楽器&パーカッション大勢の大編成でヴィルトゥオーソが試される20世紀モノ〜現代音楽をやるのが真価を発揮できて、聴いていても楽しいです。昨年末の60周年記念の特別演奏会でやったシュトックハウゼンの『グルッペン』やジョン・ケージの「5つのオーケストラのための30の小品」もとても楽しませてもらいましたし。いま募集中な第2Vnの首席が埋まってコンマス2人戻る体制になったら、プログラムは攻めの志向でどんどん挑戦してほしいですね。

 

 


京都市交響楽団 第583回定期演奏会(指揮:ドミトリー・リス)

比較的早い段階でキャンセルが決まって多少の時間的余裕があったからかどうかわかりませんが、ウラル・フィルの芸術監督・首席指揮者で度々来日もされているドミトリー・リスさんを代役に立てられたのは幸運でしたね。むしろ今回のプログラムでは彼の方が合っていたかもしれません。タバシュニクさんの指揮で聴くなら現代音楽をメインにしたプログラムの方がよかったなぁ思うてましたし。

さて、そのピンチヒッターで来京のリスさんのプレトークはほとんど『ペトルーシュカ』に費やしてました。このバレエ曲に含まれている人形ペトルーシュカの物語の悲しさの部分にもフォーカスを当てたいみたいなことを仰っていましたが、さてさて・・・。

 

京都市交響楽団 第583回定期演奏会
2014年9月27日(土)14時30分開演@京都コンサートホール

◆J.ブラームス 悲劇的序曲 ニ短調 Op.81
◆P.I.チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35
 (ソリスト・アンコール)
 ◇J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調 BWV1006〜ブーレ
(休憩)
◆I.ストラヴィンスキー バレエ『ペトルーシュカ』[※1911年版]

指揮:ドミトリー・リス
ヴァイオリン:川久保賜紀
コンサートマスター:泉原隆志

 

なにはともあれ、今日は凄まじい名演だった『ペトルーシュカ』でしょう。これまで何度か実演でこの曲を聴いたことがありますが、こかまでボリューミーかつ彩り眩いサウンドで、かつ物語の方向性と一貫性を持たせた演奏は初めてでした。『ペトルーシュカ』って響きの華やかさに目が行きがちですが、その華やかさの裏にこんなに陰鬱な儚さが隠されていたとは、まさに目からウロコな気分でした。

スコアが1911年版で4管編成でしたからステージにのっている団員もめっちゃ多くて、それだけでもかなり圧倒されましたが、動きの激しいリスさんの指揮に京響もしっかりと応じて彼の意図を汲み取って表現していたのはさすがでしたね。今日の定期はメインの『ペトルーシュカ』だけで充分すぎるほど元が取れました。リスさんにはピンチヒッターでなく改めて正式に定期に招聘してほしいですね。

さて、後半の話ばかりを先にしてしまいましたが、前半はというと、まずブラームスの序曲はまぁ無難といったところ。チャイコンは存在感を全く示せなかったソリストの完全に力負け。指揮者はあのMirareレーベルから庄司さんと組んだショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲ベレゾフスキーとのラフマニノフのピアノ協奏曲を録音してリリースしてるほどなので付けに関しては問題ないはずですし、これはもう川久保さんの責任かな、と。出だしから干からびた貧弱な音だったので、これはアカンと思ってたら次巻の経過とともに睡魔が襲ってきて、おかげで第1楽章最後のカデンツァで弦が切れるというアクシデントを見逃す羽目になりました(苦笑)。近年のチャイコフスキー国際コンクールなんぞアテにならんなぁ〜思うことしきり。なので7年前の優勝者である神尾さんには同じ轍を踏んでほしくないなと願ってます。

 

ところで、ロシアの地方都市エカテリンブルクに本拠を置く無名の一地方オケにすぎなかったウラル・フィルを現状でのような名声を得るまでに引き上げてきたドミトリー・リスさんの手腕は誰しも認めるところですが、7年前に日本人が彼にインタビューした記事がありますので、ここで紹介しておこうと思います。

全責任を負う指揮者の人生は苦労の連続
  ―改革を断行し、ロシアでモデルケースとして注目される

【日経ビジネスオンライン:伊熊よし子 2007年7月10日】

 ロシア作品を得意とし、近年チャイコフスキーやラフマニノフ、ショスタコーヴィチなどの演奏と録音で国際的に高い評価を得ている指揮者、ドミトリー・リス氏が5月に東京国際フォーラム(東京・有楽町)で開催された「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン『熱狂の日』音楽祭2007」に参加するために来日した。

 マエストロ・リスとともに来日したのはウラル・フィルハーモニー管弦楽団。1934年にスベルドロフスク放送管弦楽団という名称で創立され、1992年に現団体名に改称された長い歴史を誇るオーケストラだ。ロシアのウラル山脈の西に位置するウラル地方の中心都市、エカテリンブルクに本拠を置き、旧ソ連時代は西側に紹介される機会もなく、「幻のオーケストラ」とも言われていた。

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〔※写真:オーケストラの改革について語る指揮者のドミトリー・リス氏(撮影:小川玲子、以下同)〕

資金集めに奔走、楽員の給料をアップ

 「そうなんです。このオーケストラは以前、演奏する場が限られていましたので、なかなか西側の人々に聴いていただけなかった。私が芸術監督に就任したのは1995年ですが、それから徐々に様々な改革をしてきました。今は欧米にも演奏ツアーができるようになり、こうして日本の聴衆の前でも演奏できるようになったわけです」

 リス氏がオーケストラとかかわるようになって最初に行ったのは、レパートリーを広げること、いい楽器を手に入れること、そして楽員の給料を上げることだった。

 「エカテリンブルクの市長をはじめ国際的なビジネスを行っている人や重要なポストに就いている人、音楽に興味を抱いてくれる富裕層などに働きかけ、資金を集めました。短期間で国の予算が50%、個人と民間の予算が50%というオーケストラの基本的な予算構造が出来上がり、全員の給料もロシアのビッグなオーケストラと肩を並べるまでになりました。それから現在まで、私の挑戦は続いています。政治家や役人とも交渉しますし、あらゆるところに出向いてオーケストラの資金集めに奔走しています」

すべての責任は指揮者自身が担うべきである

 すべてはいい演奏を生み出すため、いい音楽を人々に提供するためと明言するリス氏は、モスクワ音楽院で著名な指揮者、ドミトリー・キタエンコ氏に師事しているが、自分の目指す演奏を生み出す多くのすべを彼から学んだという。

 「キタエンコ先生は指揮者に必要なすべてを教えてくれました。テクニックや表現力などはもちろん、指揮者の人生で何が必要か、どんな可能性があるのか、自分は何をすべきかを教えてくれたのです。最も印象に残っているのは、自分の仕事に責任を持つということです。指揮者として100人を超すオーケストラのメンバーの前に立った時、その音楽のすべての責任は指揮者自身が担うということを忘れるな、ということです。成功する時はもちろんうれしいのですが、失敗した時に、オーケストラのせいにしてはいけない、自分が責任を取れとね」

 リス氏は何度も「指揮者の人生は苦労の連続ですよ」と口にした。音楽面だけを考えるだけではなく、オーケストラのすべてにかかわっている彼は、毎日新たな挑戦が目の前に突き付けられるのだそうだ。

 「でも、幸いなことに、ウラル・フィルには素晴らしいディレクターがいるのです。彼はアメリカのシカゴ交響楽団でマネージメントを学び、アメリカの仕事の進め方をロシアで実践に移した。それが私たちのオーケストラです。これはモデルケースとしてロシアの他のオーケストラの手本にもなっています。ロシアは今刻々と変わりつつあります。もう昔のやり方では世界に通用しません。新たな方向を目指さなければ、時代に乗り遅れてしまいます。演奏だけがよければいい、という時代は終わったのです。プロフェッショナルなオーケストラはどうあるべきかが問われる時代なのです。レコーディングを積極的に行うようになったのも、楽員の意識を高めること、集中力を養うこと、指揮者とオーケストラとの信頼感を強くすること、そして経済的な基盤をしっかり確保すること、といろいろなことが含まれているわけです」

 そんなリス氏の指揮は、踊るような激しい動作が特徴で、指揮姿は見ていて飽きない。どこから手が出てくるのか分からないと思うほどフワッと急に手が現われ、それがオーケストラへの指示につながり、両足も一瞬たりともじっとしていない。常に動き、ダンスをしているようで、指揮台から落ちそうになる。

私が踊りながら指揮をしているって?

 今回の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」では、チャイコフスキーの交響曲、ムソルグスキーやボロディンの交響詩からソリストを迎えてのコンチェルトまで様々な作品を演奏、いずれもユニークな“ダンス”を披露した。

 「えっ、私が踊りながら指揮をしているって。そんな、嘘でしょう。まったく気づいていませんでした。いや、まいったなあ。本当ですか。だって足を痛めているんですよ」

 マエストロは、自身の演奏姿はご存知ないらしい。初めて聞いたとばかりに真顔で何度も確かめた。しかし、その流麗な動きがオーケストラから流れるような美しい音楽を導き出すことにつながっているというと、初めて納得した表情になった。

 「実はねえ、私は趣味がスポーツなんですよ。昔からウィンドサーフィン、マウンテンスキー、グライダー、テニス、自転車と何でもやりました。

 音楽も子供の頃から始め、ピアノ、クラリネット、音楽史の勉強を同時に行っていたのですが、クラリネットの先生が指揮者になる夢を抱いていて、私にその夢を託した。『君は指揮者に向いているから指揮の勉強をするべきだ』と。それで指揮に転向したのです。

 16歳の頃は音楽の勉強と同時にバドミントンにも明け暮れていて、コーチに『なんで音楽なんかやっているんだ、バドミントンでオリンピックを目指せ』と言われたくらいです。今でもいろいろなスポーツをしていますが、先日足を骨折して膝にまだビスが入っているんですよ。だから指揮する時にはまさか踊ってなんかいないと思いましたがねえ。演奏が始まると我を忘れて音楽の中に没入してしまうので、足のことなんか忘れてしまうんですね。そうですか、そんなに動いていますか、こりゃ新たな発見だ(笑)」
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〔※写真:趣味はスポーツで、流麗な身振りから美しい音を引き出す〕

自分の思い描いている演奏ななかなか生まれない

 リス氏は、スポーツをしている時だけ普段の仕事の大変さを忘れるという。汗をかき、からだを動かし、また日常へと戻る。

 「様々な仕事に言えることでしょうが、本当に自分の満足いく仕事ができるというのは稀(まれ)だと思います。私も毎回ベストを尽くそうと考えていますが、自分の思い描いている演奏はなかなか生まれません。カラヤンがある多忙な指揮者に質問したという有名な話があります。『君は1年間に何度くらい演奏に満足するかね』とカラヤンは聞きました。その指揮者はじっくり考えてから『10回ほどですね』と答えました。するとカラヤンは『ほう、君は幸せだね、私は1回あればいい方だ』と答えたというのです。この話はいつも私に様々なことを教えてくれます。完璧を求めれば、人は決して自分の仕事に満足できない。かといって安易な妥協はできない。だったらどうすればいいか。私はこの問題と長年闘っているわけです。だから辛い人生になってしまうのですよ(笑)」

 リス氏は最後にひと言聞いた。

 「以前、私とウラル・フィルが初来日した時に演奏を聴いてくれたんだって? その時の演奏と今回とではどう違う?」

 私は正直に、指揮者とオーケストラとのコミュニケーションが強固になり、演奏が深くなったため、作品のよさが浮き彫りになったことを伝えた。マエストロは「そうか、一瞬足の痛さを忘れたよ」と笑った。

ドミトリー・リス氏のプロフィール
 
ウラル・フィルハーモニー管弦楽団 芸術監督兼首席指揮者
1960年ソヴィエト生まれ。モスクワ音楽院でドミトリー・キタエンコに学ぶ。91年クズバス交響楽団の首席指揮者に、ロシアで最も若い指揮者として就任。オムスク交響楽団とも良い関係を続ける。95年エカテリンブルクのウラル・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者に就任。98年にはロシア・ナショナル交響楽団のアソシエート・コンダクターにも就任。
「彼の指揮は、きめ細やかにオーケストラ・メンバーたちを導いていく。大きく高潔な動きは、透明感にあふれ、落ち着いた、内容の充実したフレージングを生み出す。曲が終わりを迎えないことを我々は祈るばかりである。」(ウィニペグ・プレス)

 

 



京都市交響楽団 第580回定期演奏会(指揮:ジェームズ・ジャッド)

今回の客演指揮者はジェームズ・ジャッドさん。1949年10月30日生まれ、イングランドのハートフォードシャー州のご出身。1999年から2007年にかけてニュージーランド交響楽団[http://www.nzso.co.nz/]の音楽監督を務め、ナクソス・レーベルでの多数のレコーディングを通じて世界に名を知らしめる精力的な活動を行ってきたことは存じられていることかと思います。ナクソスでの録音はエルガーやヴォーン=ウィリアムズなどの英国音楽などの他、ダグラス・リルバーンやライル・クレスウェルといったニュージーランドの作曲家の作品も採り上げていますね。

さて、母国イングランド代表の試合があるというので早起きしてTV観戦してたのに・・・と型通りの挨拶の後にジョークのつもりかボヤキなのかわからない言い様でワールドカップの話題に触れたマエストロ(イングランド相手に2ゴールあげたのがよりによってプレミアリーグ得点王でリヴァプール所属のルイス・スアレスでしたから愚痴りたくもなるか・苦笑)、その後に行われた日本の試合も見てくださったそうですが、せっかくなのにすいませんでした・・・あんなしょーもない戦いぶりでギリシャ相手にスコアレスドローでしたし。

閑話休題。

プレトークではモーツァルトとエルガーについてのお話。残された写真からも典型的英国紳士としてイメージされがちなエルガーにもマーラーのような情熱的な部分もあって複雑な性格の持ち主だったこと、京響がエルガーの音楽にある繊細さをよく理解していて、その繊細さを共有できて嬉しいみたいなことを仰ってました。話しぶりからして気さくで気配り上手な紳士という印象、いわゆる‘英国紳士’とは違うけど。

 

京都市交響楽団 第580回定期演奏会
2014年6月20日(金)19時開演@京都コンサートホール

◆W.A.モーツァルト 交響曲第31番ニ長調 K.297(300a) 『パリ』
◆N.パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 Op.6
 (ソリスト・アンコール)
 ◇J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 BWV1004〜第3楽章:サラバンド
 ◇E−A.イザイ 無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番イ短調 Op.27-2〜第1楽章:妄執(Obsession)
(休憩)
◆E.エルガー 独創主題による変奏曲『エニグマ』 Op.36

指揮:ジェームズ・ジャッド
ヴァイオリン:クリストフ・バラーティ
コンサートマスター:泉原隆志

 

終わってみれば、一にも二にもエニグマ変奏曲がダントツで素晴らしかったこと。京響から「これぞエルガー・サウンド」という音彩が出てきたのは7年前のエルガー・イヤー(生誕150周年)の秋に大友さんが1番と2番のシンフォニーをそれぞれメインで採り上げて以来、実に久しぶり。しかもスケールアップして帰って来たって感じ。鳴らすところは目一杯響かせてるんだけど格調の高さを損なうことが少しもなく、各ヴァリエーションをそれぞれ特徴を引き出しつつも途切れさせることなく上手く繋げているので、音楽全体が起伏に富みつつも川の流れの如く自然な印象を与えていて、とても好感が持てる演奏でした。プレトークで独自のエルガー観を熱心に語っていただけはありましたね。

それだけに、前半のコンチェルトもパガニーニでなくエルガーで聴きたかったというのが結果からの逆算で痛感させられました。ソリストがパガニーニの演奏で売り出した人のようなのでプロモーションの都合でこの選曲になったのでしょうけど、パガニーニ好きのファンには申し訳ないですが、私にとって彼の作品は何度聴いても‘ツマンナイ’の棚に分類されるものでしかないし、ジャッドさんの指揮もここでは裏方に徹してるという程度でしかなく、バラーティは確かに技巧の高い人ではあったけど、温度差の違いは微妙にあったかな?という印象でした。アンコールで弾いたバッハとイザイが良かっただけに、年齢が20歳ソコソコならいざ知らず30代半ばなのだから、コンチェルトの選曲も今までの彼のキャリアとは毛並みの違うものに挑戦してもよかったように思いました。今日のプログラムでならエルガーが最適ですが(ただしエルガーのヴァイオリン協奏曲は時間が長いので前半はこれ1曲ってことになりそうですが)、他にもヴァイオリン協奏曲を書いているイギリスの作曲家はいますし、アイルランドの民族音楽があちこちに散りばめられているアーネスト・ジョン・モーランのヴァイオリン協奏曲も日本ではほとんど知られていませんが穏やかな美しさの光る音楽でユニークなチョイスかもしれません。ただしバカテクを披露するのには向いてないですけど(苦笑)。

前半最初のモーツァルトはごくごくオーソドックスというか、英国系の指揮者が振ったらだいたいこんな感じになるよね?っていうところでしたが、オペラで『ドン・ジョヴァンニ』や『フィガロの結婚』をレパートリーにしてることもあってか、決して単調にならなかったあたりはさすがでした。

ともあれ、今回の定期はあのエニグマ変奏曲を聴けただけで元が充分すぎるほど取れました。広上体制になってから定期で英国モノをしっかりやる頻度が少なくなってしまった一面があるので、エニグマ変奏曲で京響からあのサウンドを引き出してくれたジャッドさんには再客演をぜひとも願いたいですね。

 


 

追伸:どうやら完売連続記録は途絶えてしまったみたいですが、平日の夜の公演で残りあとわずかのところまでは売れたのだから気にするほどでもないでしょうし、記録はどのみち来月で途切れそうだから諦めつくっしょ?w (次回7月18日は大阪のフェスでの大フィル定期、ザ・シンフォニーでの関フィル定期と同じ日でバッティングするので)