京都市交響楽団 第488回定期演奏会

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2006年5月11日(木)19時開演
@京都コンサートホール(大ホール)

◆W.A.モーツァルト 交響曲第36番ハ長調『リンツ』K.425
(休憩)
◆D.ショスタコーヴィチ 交響曲第7番ハ長調『レニングラード』Op.60

指揮:ドミトリー・キタエンコ
コンサートマスター:グレブ・ニキティン

 ショスタコーヴィチは京響では今年1月にミッチー(井上道義さん)が11番を採りあげました。7番を生で聴くのは大植さんが大フィル定期でやって以来です。京響はミッチーと何度となくショスタコーヴィチを演奏していて(私が聴いたのは今年の1回だけですが)、キタエンコはケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団と交響曲全集を録音してますし、彼自身が旧レニングラード出身。私ならずとも期待して出かけたファンは多かったはずです。

 前半のモーツァルト。大編成で、しかも弦は対向配置です。これでどんな演奏をするのかと思ったら、弦が46人もいるとは思えないほど纏まりのある柔らかい響き。フォルテもやさしく抑え気味な感じで、アーティキュレーションも普段聴きなれないような独特の処理(スコアを知らないので正直何とも言えないですが・・・)が随所に見られ、今まで聴いたことのないモーツァルトでした。ピリオド奏法風でもないですしねぇ~?オーボエ(高山さん)のソロなどオケの演奏は良かったですし、対向配置のおかげで楽器間の旋律の受け渡しとかがわかりやすくて面白かったのですが、印象としてはちょっと変わったモーツァルトを聴いた、という方が強かったですね。

 後半はお待ちかね?のショスタコーヴィチ。オケの配置も通常に戻してあって、しかもエキストラが結構多くてステージ上は人がたくさん(笑)。
 京響はさすがに京都のオケらしく?!パワーを前面にゴリ押ししたような所謂爆演とはあまり縁のないオケですが(4月のブラームス・ツィクルスの大友・ミッチー対談で、「女性団員が多いとココという所で踏ん張ったffが出にくい」みたいなことをおっしゃってましたが、あれはもちろん差別とかではなくて、ミッチー流の半分苦情の半分激励だと思います)、今日はいつもの京響らしくない?精緻なアンサンブルの中にも荒々しいまでの迫力が出ていて、特に第1楽章はスネアが一定のリズムを刻むところ(今日の担当だった女性の方はリズムが決してブレることなく硬く強い音を最後まで刻んでいて好演奏でした)から同楽章のクライマックスにかけてと、それから終楽章、これらの辺りは重くドッシリした響きで、しかも音がカオス状態で汚くなるということがなく、しっかりとコントロールされた強奏で頂点を築く様が素晴しかったです。特に金管は熱演だったと思います。よくCDで聴くロシアのオケに似たブラスサウンドで、ホントに、なんかいつもの京響らしくないような(笑)。
 全体的にテンポもやや遅めでスケールの大きな表現で、しかも指揮者のこの曲に対する思い入れを充分すぎるほど感じるような、とても素晴しい熱演だったと思います。
 惜しむらくは、弦でもう少し冷たい音色、クリアなんだけど凍てつくような音で特に第2・3楽章はやってほしかったかな、というところでしょうか。今年1月のミッチーとの共演や一昨年8月の広上さんとの共演で出せた響き、ショスタコーヴィチにはそういった音が似つかわしいように思いますが、その点だけが個人的にちょっと気になりました。エネルギッシュでハートの熱さをビンビン感じたので、尚のことちょっともったいなく思いましたが、でもしとらすが気にした点は単なる個人の好みの範疇かも・・・?

 来月はいよいよ東京交響楽団との共演で『グレの歌』ですが、最近ずっと好演奏を続けていて、その充実ぶりが窺える京響ですので、とても楽しみです。これで聴衆のマナーレベルが上がってくれればいうことはないのですが、特に老人連中のマナーは最悪ですね・・・。都人(みやこびと)に相応しくないんだよなぁ~(トホホ)。