京都市交響楽団 第568回定期演奏会(指揮:井上道義)

今日は自転車で出かけたので、行きはさすがに暑かったです(笑)。

ホール内に入ると録音用のマイクがステージ上に数多くセッティングしてあって、放送用なら外に放送局の車が止まってるはずなのですが来る時には見かけませんでしたし、演奏後に係の方を探して尋ねてみたところ、リリースするかどうかは未定だけれどもディスク化用の録音とのこと。先月みたいなこと(尾高さんの指揮での『英雄の生涯』の名演)があるから、もういっそ定期は毎回マイク立てとけばいいのに・・・録るだけ録ってゴーサインが出たのをディスク化するとか・・・機会をみて京響の事務局に電凸してみようかな、と帰り道にそう思いました。

ちなみに、今回で定期は3回連続の前売りチケット完売。来月分も今日の時点でB席がわずかに残ってるのみだそうで、客入りが良くなってきているのは喜ばしいことです。この調子で定期2日間公演まで持っていけたらなぁ・・・。

 

京都市交響楽団 第568回定期演奏会
2013年5月24日(金)19時開演@京都コンサートホール

◆L.v.ベートーヴェン 序曲『コリオラン』ハ短調 Op.62
◆A.ブルックナー 交響曲第8番ハ短調[ノヴァーク版 第2稿(1890年)]

指揮:井上道義
コンサートマスター:泉原隆志

 

え〜と、感想の前に一つ。

ブル8始まってすぐにゴッホンゴッホン辺り構わず大きな咳を撒き散らした奴、よりによって弱音時にガサゴソガサゴソバッタンしてた奴、残響も止んでないどころかミッチーがまだ指揮棒を下ろしてないうちからデカい声でフラブラかました奴、全部まとめてグーで殴ってもいいですかね?(怒)最近マナーがちょっとずつマシになってきたと思ってたらこれですもん、1階席の中高年老人連中・・・ほとんど友の会会員席として割り当てられてる区画ですからねぇ〜、同じ会員の1人として情けないやら恥ずかしいやら頭にくるやら・・・。

閑話休題。

弦セクションが両翼配置。客席から見て左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン、中央最後方にコントラバス2列、という並び。プルト毎にひな段を1つ上げて全体をお椀状のように並べていたのは前回の尾高さんの時と同じです。もしかして音響のことを考えて恒例化する・・・のかな?ティンパニはコントラバスの右隣り、ベートーヴェンの時はピリオドっぽい楽器を使ってたみたいです。ホルン(ブルックナーの時は4人がワーグナーチューバと持ち替え)は左後方、ハープはホルンのさらに左、トランペットとトロンボーンとチューバは右後方という並び。何年か前にブル9をやった時は観に行ってないので、比較できないのが残念ですけど、ミッチーはブルックナーを古典派の延長線上と捉えているとか・・・ですかね?

さて、まずは1曲めの『コリオラン』。プレトークで自分が第九を指揮する時にはプログラムでよく組み合わせてやってます、みたいなことを仰ってましたが、今回は指揮台も取り払って暗譜で指揮。おそらくは練習時間もそれほどこの曲に割く余裕はなかったはずですが、そこはそれ、阿吽の呼吸というかビシッとよくまとまってた印象でした。

そして休憩時間を置かずに演奏されたブル8ですが・・・結論だけ先にいえば、指揮者もブルックナーに関してはビギナー、京響も大阪方面に遠慮があるのかどうかは知りませんがブルックナーはめったに演奏しないビギナーみたいなもの、慣れないなりにみんなよく頑張ってたけどビギナーズラックとまではいかなかったかな、という印象でした。ちなみに、腕時計で簡単に楽章毎の演奏時間を測ってたのですが(デジタルじゃないのでおおよその目安程度で)、

第1楽章:17分
第2楽章:15分
第3楽章:25分
第4楽章:25分

プレトークでブルックナーはマーラーやリヒャルト・シュトラウスらと違って指揮者としてはダメダメで、自分の経験上(彼は作曲活動もやってますしね)からも、自分で指揮しながら修正するのと他人に指揮させたり意見を求めたりというのでは改訂の性格も違ってくるみたいなことと、ブルックナーはオルガン奏者だったことから音響のイメージもコンサートホールやオペラハウスではなく教会を頭に描いていたのではないかとスタッカートの処理を例に挙げて説明してました。

で、ミッチーなりに万全の準備をしたであろう今回のブル8。個人的な印象では、マーラー=バーンスタイン流のスタイルをブルックナーにもそのまま持ち込んで他はほとんどオケの経験値(=朝比奈さんの遺産)に丸投げ状態だった大植英次や、天才であるが故に全部が全部を力で捩じ伏せて人工物まがいの音楽を拵えちゃうようなロリン・マゼールに比べれば、はるかにブルックナーのスコアに誠実な態度をとっていました。ただ、私の印象ではミッチーは線的描画的アプローチを身上にしてて、それが油絵具ベタ重ねみたいなブルックナーの書法にはどうかな、と危惧してたので、やはりもう少し場数を踏まないとミッチー流のしっくりしたものにはならないのではないかと思いました。ただ、彼まだ60代だし、これから回数重ねて70〜80代になった頃にはガラッと良い方向に辿り着けるかもしれません。もともと古典派の交響曲には相性の好い方でしょうし。

そしてオケ側についてですが、全員いつもの定期同様に精根尽き果てるくらいベストを出しきる・・・それは認めます。しかし、いくらフレキシブルさがストロングポイントの京響といえども、ことブルックナーに関しては演奏機会がこれまで極端に少なかった弊害が出たのは否めなかったのではないでしょうか。指揮者が例えば大響の児玉宏さんのようにブルックナーを自分の十八番にしてるような人だったら、オケに的確な指示を出してトレーニングできたのでしょうけど、残念ながら指揮者もブルックナーに関してはまだビギナーというのであれば、全員がベストを尽くしてもピントがズレてなかなか噛み合ったって感じがしなくて、いいとこ80点台の演奏になってしまうのかな、と考えたりしました。まぁそれだけブルックナーが特殊というか演奏者に優しくない書法を採っているからなんでしょうけど・・・これがハイドンやモーツァルトやベートーヴェン、更には時代が下ってブラームスやマーラー、彼らの交響曲とブルックナーのそれとの根本的な違いでしょうね。

なので、要は
「京響はもっとブルックナーを演奏して慣れるようにしましょう」
いうことです(笑)。せっかく関西髄一のブラスセクションを持っているのだし、弦もトップの世代交代が上手くいきつつあるのと皆の意識向上のおかげか年々フレキシブルな良さはそのままに芯のしっかりした響きを作ってきているので(だからこそ以前ノイホルトやラザレフが客演した際にも彼らの要求に応えて分厚いサウンドを聴かせてくれた)、ブルックナーに関してはあとはもう“慣れ”しかないのではないでしょうか。これまで客演で定期を振った指揮者でブルックナーの得意な人を再招聘してブルックナーをメインにしてもらうもよし、今ニュルンベルク州立歌劇場のGMDを務めているマルクス・ボッシュ[http://www.marcus-bosch.de/]を呼んでくれれば事務局GJ!!なんですけどね(笑)。

それから、せっかく張り切ってディスク化してもいいようなマイクセッティングして臨んだ今回の京響定期でしたけど、CD化は・・・う〜ん・・・???・・・という感じ(苦笑)。客席ノイズも多かったですしね、ちょっと人前では(CD化)出しづらいかな・・・。