京都市交響楽団 第579回定期演奏会(指揮:広上淳一)

初めて申し込んだゲネプロ見学に運よく参加することができまして、集合時間の10時20分に大ホールへ。参加者に向けて事務局の方がケータイ・スマホ電源OFFや途中退出・私語・拍手は一切禁止など注意事項を一通り説明された後、その係の方の隣にいた広上さんから、見学時間は1時間と聞いているけど、ゲネプロの段取りを『ローマの謝肉祭』→『牝鹿』→15分休憩(ここまでで約40分)→『イタリアのハロルド』と考えているから1時間で区切られると中途半端になるし、希望者には全部聴いてもらうということにしたら?、というご提案があり、事務方さんもあっさり了承されたので、有り難いことに午前と午後で2回もフルに聴くことができました。

・・・おかげで夕方にはすっかり腹一杯ゲップ寸前な状態になっちゃいましたが(苦笑)・・・

着席範囲は1階の17列〜31列と指定されていたので、私は19?20?列付近のやや左側で聴いていたのですが、『ローマの謝肉祭』の出だしからビックリするほど音が響いてきて、京コンってこんなに音響よかったっけ?と(笑)・・・9年前に大友さん指揮の482回定期で前日練習の見学をさせてもらった時には、ここまでワァ〜ンと響いてくるような体験をした記憶がないので、京響がそれだけしっかりと鳴らせるオケに成長したってことなんでしょうね。

今回のゲネプロでは途中で1度も止めることなく進行。『ローマの謝肉祭』と『牝鹿』で指揮しながら広上さんが何か口頭で指示されていたのがそれぞれ1回ずつ、『イタリアのハロルド』では楽章の合間に川本さんと言葉をかわしたりされてた程度、一部でミスった奏者がいたくらいでほぼ仕上がっているという印象でした。

あと、弦楽器の配置がいつもと違ってチェロとヴィオラを入れ替えた並びで、左から第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロという順。プレトークではちょっと趣向を変えてみたかったとしか仰っていませんでしたけど、もしかしたら『イタリアのハロルド』のヴィオラ・ソロを意識してのことなのかも?と思い、レセプションの時にでも広上さんに尋ねてみようかとゲネプロ聴きながら考えていたのですが、いざ本番も終わって夕方になると私の方に長居する気力が残ってませんで(苦笑)、結局質問の機会を逃してしまいました。

 

京都市交響楽団 第579回定期演奏会
2014年5月24日(土)14時30分開演@京都コンサートホール

◆H.ベルリオーズ 序曲『ローマの謝肉祭』 Op.9
◆F.プーランク バレエ組曲『牝鹿』 FP.61
(休憩)
◆H.ベルリオーズ 交響曲『イタリアのハロルド』 Op.16

指揮:広上淳一
ヴィオラ:川本嘉子
コンサートマスター:泉原隆志

 

さて、本番は自分の定席である3階サイドにて鑑賞。ゲネプロの時ほど音が響いて耳に入ってこないのに愕然とさせられました(苦笑)。席の位置の違いを考慮してもやっぱり構造がよくないのね、ともかく反射音が少ない。1800席のシューボックスでああなってしまった原因を今更蒸し返してもアレですが・・・それと今日の定期は先月の時点で完売だったので客席もほぼ満席でしたが、“人間”がどれだけ音を吸収してしまう物体なのかも改めて認識させられました。

個人的には
『ローマの謝肉祭』→『牝鹿』→『イタリアのハロルド』
の順で良かったという印象でした。『牝鹿』はもう少しリズムに軽快感がほしかったところですが、広上さんのスタイルが若い頃や京響初共演時から変わってきているので、これはもう仕方ないのかな、と。

後半メインの『イタリアのハロルド』、まずは

広上さんにすら痛い視線を向けられていたにも関わらず
延々とチリンチリン鈴を鳴らし続けていた大馬鹿者は
ちょっと屋上まで来てもらおうか!
(゚Д゚#)ゴルァ!!

ジジババは高音域が難聴になりやすいから鈴の高い音とかにも鈍いとはよく言われますが、今回の加害者が老人かどうか私の席からは見えませんでしたけど、ともあれ当人の責任は重大。アレでかなり演奏者も聴衆も集中を削がれたと思う。そして当人が鈍感で気づかないのなら、誰か周囲の人が何らかの方法で注意すべきでしょう。仮に私が近くにいたら、間違いなく大袈裟に睨みつけるなり何なりして黙らせるよう手段を取りますが。客席から発するノイズは演奏者にも他の大勢の聴衆にも迷惑をかけますから、本人が自己反省できないのであれば他の誰かが注意して止めさせるのがマナーだと思うのですが・・・。

閑話休題。

演奏はというと、時間の長い両端楽章がカッチリとした音の構築で、特に終楽章がエネルギッシュで終わったこともあって、全体の収支では一応プラスかと。終楽章の最後らへんの弦楽器による回想の部分(「遠くから」という卜書があるそうですが)をそれぞれの首席奏者ではなく最後列のプルトの人に弾かせていたのもユニークな趣向でよかったと思います。逆にパッとしなったのがヴィオラ・ソロ。私は室内楽とかリサイタルにはほとんど足を運べてない(行きたいと思う時はもちろんありますが先立つモノがないから行けない、が正確・苦笑)ので、川本さんのソロを聴くのは9年前に堤剛さんと組んで『ドン・キホーテ』を演奏した時以来で久しぶりだったのですが、ゲネプロではカジュアルだったのであまり感じなかったけど、本番でドレスアップした姿を見て思わず「誰?」・・・そりゃまぁ私より3つも年上の女性の見た目がアラフォー→50手前で違ってくるのは仕方ないのでしょうけど・・・本調子じゃなかったのか音もか細い感じであまり届いてこない。こんなはずじゃないだろうというのが正直なところ。

演奏会後のレセプション、広上さんのスピーチは聞きたかったし、弦楽器の配置について質問もしてみたかったので、本当は早退けしたくなかったのですが、着替えて出てきた広上さんが飲み物を取るのもそこそこにオバちゃん連中に次々と捕まって、しかも一々律儀に対応されるものだから事務方の人もマイクを渡すタイミングを失ってる様子でしたので、午前のゲネプロからずっと北山にいた私は待つ気力も失くなって帰ってしまいましたとさ(苦笑)。

『イタリアのハロルド』、今回の定期の前にNMLに登録されていたミュンシュ、コリン・デイヴィス、カンブルランと3種のライヴ録音を聴いていて、そして帰り道でもいろいろと考えたのですが、フランス音楽が好みの私でもベルリオーズはサン=サーンスとともに合わない作曲家だな、とつくづく思わされました。シャルパンティエ、クープラン、ラモーなどのフランス・バロックは太陽王ルイ14世からルイ15世のフルーリー枢機卿の執政期あたりまでの時代の方々、そしてドビュッシーやラヴェルからはじまる作曲家と私がよく目にするベルクソンに端を発しキラ星のように次々と輩出されたフランス哲学の人たちは皆が第三共和政とその後の時代の方々。ベルリオーズはそのどちらにも当てはまらない。ついでに個人的には積極的に聴く気にはなれないビゼーもそうだし、サン=サーンスも壮年期まではフランスの政情が不安定だった頃の人。19世紀後半まで長期にわたって小国乱立状態だったイタリアやドイツとは異なるフランスでの音楽界の在り方、こうして見るとナカナカに興味深いかもしれませんね。