祇園祭、大舩鉾が復興へ

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以前に宵山で見学させてもらった時もどことなく淋しげな雰囲気を感じた大舩鉾の居祭りでしたが、そうですか、いよいよ鉾が復興ですか・・・。

大舩鉾 http://www.biwa.ne.jp/~jimmie-k/hunehoko.html(注:個人サイト)

禁門の変(蛤御門の変)と、その時の出火が元で起こった“どんどん焼け”と呼ばれる大火事は京都の街に甚大な被害をもたらしましたが、この“どんどん焼け”のせいで焼失してしまったままになっていたという大舩鉾。来夏以降に鉾再建のために広く支援を呼び掛けるのだそうで、大変な道程になるとは思いますが1年でも早い復興がなされるといいですね。

せっかくだから、どことは言いませんけど出火の直接の引き金を作った藩のあった県から税金を回してもらうとか?そうそう、特にお腹が痛いといって総理を辞めちゃった人や会津のけねでぃを気取っている爺さんは率先して多額の私財を寄付したらいかがかと・・・(苦笑)。

大船鉾、復興へ 来夏から再建準備 祇園祭 くじ取り式出席
【京都新聞 2010年6月13日】

 江戸時代まで祇園祭・山鉾巡行のトリを飾り、幕末の大火で焼失して休み鉾となっていた「大船(おおふね)鉾」が、巡行復帰を目指して準備を進めていることが、12日に分かった。四条町大船鉾保存会(京都市下京区新町通四条下ル)が今年のくじ取り式にオブザーバーとして出席するほか、来夏以降、鉾再建のために広く支援を呼び掛ける。かつては最大級の鉾だっただけに、「33基目」の山鉾復興への期待は大きい。

 江戸時代の文献によると、神功皇后が遠征した説話に基づき、当時は「出陣」と「凱旋(がいせん)」の2基の船鉾があった。焼失した「凱旋」の船鉾は、現存する「出陣」の船鉾よりひと回り大きく、大船鉾と呼ばれた。山鉾巡行が2日に分かれていた時代に、後祭(あとまつり)の最後尾を務めていたという。

 しかし、1864(元治元)年に起きた蛤御門(はまぐりごもん)の変で、京都は大火に見舞われ、大船鉾の本体は焼失した。幸い、神功皇后の御神面をはじめ、前掛や後掛(見送)など豪華な懸装品の多くは難を逃れた。

 1870(明治3)年には、御神面を唐櫃(からひつ)に載せて巡行に参加したが、完全復興には至らなかった。ただ、宵山で御神面や懸装品を飾る「居祭り」は受け継がれ、1997年には大船鉾の囃子(はやし)も復活させた。次世代のリーダーも熱心に活動し、復興に向けた機運が徐々に高まっていた。御神面や懸装品は、2007年に市有形民俗文化財に指定された。

 保存会は、復興に向けた支援の受け皿づくりとして、今年4月に一般財団法人となった。さらに税制上の優遇を受けやすい公益財団法人の取得を目指し、来夏以降、鉾再建への支援を市民や企業、民間団体に呼び掛けるなど、復興に向けて本格的に動きだす。今年のくじ取り式には、オブザーバーながら代表が出席、手順などを見学する。

 四条町大船鉾保存会の松居米三理事長(77)は「まだ時期は明言できないが、必ず復興したい。多くの方々のご支援を受けながら、一歩ずつ前進させたい」と話している。

・早く勇姿見たい

 祇園祭山鉾連合会の深見茂理事長の話 保存会の方々が努力したからこそ、ここまで進んだ。重要無形民俗文化財の山鉾行事の形を変えるには、国などとの協議が必要で、クリアすべき問題はあるが、早く大船鉾の勇姿を見たい。

・休み鉾(山) 記録に残りながら本体や懸装品などを焼失し、巡行に参加していない山鉾。1864年の大火で焼失した山鉾も多い。大船鉾のほかに、鷹(たか)山と布袋山がある。

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〔※写真:幕末の大火で焼失をまぬがれた大船鉾の懸装品などを飾った居祭りの「飾り席」(2006年7月、京都市下京区新町通四条下ル)〕

※6/26追記:
焼失以前の大舩鉾を実写したとされる幸野楳嶺の「凱旋船鉾掛軸」が、矢尾定[http://www.yaosada.com/]で来月末まで飾られているそうです。見に行ける方はどうぞ。

焼失前の大船鉾 鮮明に 幕末、幸野楳嶺描く
【京都新聞 2010年6月26日】

 明治初期に京都画壇の重鎮として活躍した幸野楳嶺(こうのばいれい)の「凱旋船鉾(がいせんふねほこ)掛軸」が7月31日まで、京都市下京区新町通四条下ルの料理店・矢尾定で飾られている。個人蔵のため、これまでお披露目される機会はほとんどなかった。幕末の祇園祭で巡行する大船鉾(凱旋船鉾)を実写した作品とされ、焼失以前の大船鉾を知る貴重な手がかりだ。

 楳嶺は、大船鉾を有した四条町に生まれ、蛤御門の変(1864年)で生家が被災した。この時四条町一帯も被害にあい、大船鉾は焼失した。

 掛け軸は、大火が起こる以前、若き日の楳嶺が四条町で、巡行直前の大船鉾を描いたと伝えられ、町内で親交があった小賀家が大切に保管してきた。

 小賀百合子さん(62)は「大船鉾の復興が動きだしたと聞き、応援したかった」と語り、大船鉾の囃子(はやし)の復活に尽力してきた矢尾定社長の佐々木定寿さん(52)に貸し出した。

 佐々木さんは「掛け軸を通して、楳嶺さんの思い、大船鉾や四条町の歴史を伝えていきたい」と話している。
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〔※写真:下京区の料理店に飾られている、焼失以前の大船鉾を実写したとされる幸野楳嶺の「凱旋船鉾掛軸」(四条町・小賀家蔵)〕