祇園祭:『お千度の儀』とか『くじ取り式』とか

7月ともなると京都は祇園祭、いろんな行事が執り行われ、本格的に始まるんだなぁ〜と実感します。

まずは昨日の八坂神社[http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/]での『お千度の儀』、今日は山鉾巡行の順番を決める『くじ取り式』がありました。今年は大船鉾が神面を木製の唐櫃に納めて担いで都大路を進む「唐櫃巡行」の形で復興するとかで(142年ぶりの参加だそうです)、「くじ取らず」の順番が変わるなどあったようです。

詳細は下記↓を参考に。また、有料観覧席の申込は観光協会のこのページからどうぞ。
京都祇園祭:http://www.gionmatsuri.jp/

ちなみに、17日の山鉾巡行の順番は下記の通りになったようです。

【さきの巡行】
1.長刀鉾
2.郭巨山
3.霰天神山
4.蟷螂山
5.函谷鉾
6.油天神山
7.綾傘鉾
8.占出山
9.月鉾
10.孟宗山
11.太子山
12.木賊山
13.菊水鉾
14.伯牙山
15.四条傘鉾
16.芦刈山
17.鶏鉾
18.白楽天山
19.山伏山
20.保昌山
21.放下鉾
22.岩戸山
23.船鉾

【あとの巡行】
24.橋弁慶山
25.北観音山
26.鈴鹿山
27.浄妙山
28.黒主山
29.南観音山
30.鯉山
31.八幡山
32.役行者山
33.大船鉾(※唐櫃巡行)

 

涼やか稚児、無事祈る 祇園祭・お千度の儀
【京都新聞 2012年7月1日】

 京の夏を彩る祇園祭が1日、幕開けした。京都市東山区の八坂神社では、祇園祭の長刀鉾(下京区)の稚児や保存会役員が祭りの無事を祈願する「お千度の儀」が営まれ、多くの山鉾町で神事始めの吉符入りがあった。

 雨の中、振り袖とはかまの「涼み衣装」をまとった稚児の福井正賢君(10)が、禿(かむろ)の安藤健之助君(8)と福井正道君(8)と南楼門から境内に入った。

 本殿の神事で稚児を務めることを報告した後、保存会役員たちと本殿の周りを歩いて3周した。稚児の福井君は父親と祖父に手を引かれて傘の下を進み、正面で手を合わせて決意を新たにしていた。

20120701213609sendo
〔※写真:雨の中、お千度の犠で本殿の周りを歩く長刀鉾の稚児たち(1日午前10時50分、京都市東山区・八坂神社)〕

 

山一番に郭巨山 祇園祭、山鉾巡行のくじ取り式
【京都新聞 2012年7月2日】

 祇園祭の山鉾巡行(17日)の順番を決めるくじ取り式が2日、京都市中京区の市役所市議会議場で行われた。先頭の長刀鉾に続く「山一番」は、郭巨(かっきょ)山が6年ぶりに引き当てた。

 議場には、33の山鉾町の代表が羽織はかま姿で座り、祇園祭山鉾連合会の吉田孝次郎理事長、八坂神社の森壽雄宮司が見守った。

 午前10時に始まり、慣例で順番が決まっている「くじ取らず」を除く24基の代表が予備くじ順に登壇して、くじを引いた。

 山一番を引いた郭巨山の白石英範さん(44)は、巡行当日のくじ改めも務める。「(山一番で)プレッシャーがかかるけど、何とかきちんとやりたい」と笑顔で話した。

 今年の山鉾巡行は、前(さき)祭(さきの巡行)23基と、それに続く後祭(あとの巡行)9基に加え、大船鉾が最後尾で唐櫃(からびつ)で参加することから計33基となる。

 また、後祭のくじ取らずの巡行順が変更され、これまで先頭だった北観音山に代わり、橋弁慶山が140年ぶりに先頭を進む。最後尾だった南観音山は中ほどに配置された。

 くじ取りは、1500(明応9)年に始まった伝統行事。

 

 今年の巡行順は次の通り。太字はくじ取らず。

 【さきの巡行】

 (1)長刀鉾(2)郭巨(かっきょ)山(3)霰(あられ)天神山(4)蟷螂(とうろう)山(5)函谷(かんこ)鉾(6)油天神山(7)綾傘鉾(8)占出(うらで)山(9)月鉾(10)孟宗(もうそう)山(11)太子山(12)木賊(とくさ)山(13)菊水鉾(14)伯牙山(15)四条傘鉾(16)芦刈山(17)鶏鉾(18)白楽天山(19)山伏山(20)保昌(ほうしょう)山(21)放下鉾(22)岩戸山(23)船鉾

 【あとの巡行】

 (24)橋弁慶山(25)北観音山(26)鈴鹿山(27)浄妙山(28)黒主山(29)南観音山(30)鯉山(31)八幡山(32)役行者(えんのぎょうじゃ)山(33)大船鉾(唐櫃)

20120702135559gigioo
〔※写真:「山一番」を引き当てて、くじを見せる郭巨山の担当者(2日午前10時27分、京都市中京区・市役所)〕

 




祇園祭、大舩鉾が復興へ

以前に宵山で見学させてもらった時もどことなく淋しげな雰囲気を感じた大舩鉾の居祭りでしたが、そうですか、いよいよ鉾が復興ですか・・・。

大舩鉾 http://www.biwa.ne.jp/~jimmie-k/hunehoko.html(注:個人サイト)

禁門の変(蛤御門の変)と、その時の出火が元で起こった“どんどん焼け”と呼ばれる大火事は京都の街に甚大な被害をもたらしましたが、この“どんどん焼け”のせいで焼失してしまったままになっていたという大舩鉾。来夏以降に鉾再建のために広く支援を呼び掛けるのだそうで、大変な道程になるとは思いますが1年でも早い復興がなされるといいですね。

せっかくだから、どことは言いませんけど出火の直接の引き金を作った藩のあった県から税金を回してもらうとか?そうそう、特にお腹が痛いといって総理を辞めちゃった人や会津のけねでぃを気取っている爺さんは率先して多額の私財を寄付したらいかがかと・・・(苦笑)。

大船鉾、復興へ 来夏から再建準備 祇園祭 くじ取り式出席
【京都新聞 2010年6月13日】

 江戸時代まで祇園祭・山鉾巡行のトリを飾り、幕末の大火で焼失して休み鉾となっていた「大船(おおふね)鉾」が、巡行復帰を目指して準備を進めていることが、12日に分かった。四条町大船鉾保存会(京都市下京区新町通四条下ル)が今年のくじ取り式にオブザーバーとして出席するほか、来夏以降、鉾再建のために広く支援を呼び掛ける。かつては最大級の鉾だっただけに、「33基目」の山鉾復興への期待は大きい。

 江戸時代の文献によると、神功皇后が遠征した説話に基づき、当時は「出陣」と「凱旋(がいせん)」の2基の船鉾があった。焼失した「凱旋」の船鉾は、現存する「出陣」の船鉾よりひと回り大きく、大船鉾と呼ばれた。山鉾巡行が2日に分かれていた時代に、後祭(あとまつり)の最後尾を務めていたという。

 しかし、1864(元治元)年に起きた蛤御門(はまぐりごもん)の変で、京都は大火に見舞われ、大船鉾の本体は焼失した。幸い、神功皇后の御神面をはじめ、前掛や後掛(見送)など豪華な懸装品の多くは難を逃れた。

 1870(明治3)年には、御神面を唐櫃(からひつ)に載せて巡行に参加したが、完全復興には至らなかった。ただ、宵山で御神面や懸装品を飾る「居祭り」は受け継がれ、1997年には大船鉾の囃子(はやし)も復活させた。次世代のリーダーも熱心に活動し、復興に向けた機運が徐々に高まっていた。御神面や懸装品は、2007年に市有形民俗文化財に指定された。

 保存会は、復興に向けた支援の受け皿づくりとして、今年4月に一般財団法人となった。さらに税制上の優遇を受けやすい公益財団法人の取得を目指し、来夏以降、鉾再建への支援を市民や企業、民間団体に呼び掛けるなど、復興に向けて本格的に動きだす。今年のくじ取り式には、オブザーバーながら代表が出席、手順などを見学する。

 四条町大船鉾保存会の松居米三理事長(77)は「まだ時期は明言できないが、必ず復興したい。多くの方々のご支援を受けながら、一歩ずつ前進させたい」と話している。

・早く勇姿見たい

 祇園祭山鉾連合会の深見茂理事長の話 保存会の方々が努力したからこそ、ここまで進んだ。重要無形民俗文化財の山鉾行事の形を変えるには、国などとの協議が必要で、クリアすべき問題はあるが、早く大船鉾の勇姿を見たい。

・休み鉾(山) 記録に残りながら本体や懸装品などを焼失し、巡行に参加していない山鉾。1864年の大火で焼失した山鉾も多い。大船鉾のほかに、鷹(たか)山と布袋山がある。

20100613124655
〔※写真:幕末の大火で焼失をまぬがれた大船鉾の懸装品などを飾った居祭りの「飾り席」(2006年7月、京都市下京区新町通四条下ル)〕

※6/26追記: Continue reading “祇園祭、大舩鉾が復興へ”