三条実美と鳩居堂

京都新聞の記事で興味深いのがありましたので・・・

三条家が宮中に献上していた香の調合法を鳩居堂8代目当主の熊谷直行に伝えたことを、三条実美が当時の京都府知事の槇村正直に知らせる内容の書簡が見つかった、という記事です。

鳩居堂[http://www.kyukyodo.co.jp/]は今でも三条通~御池通間の寺町商店街に立派なお店を構えていて、京都人はもちろん観光客にもよく利用されていますが、不勉強故にこうしたエピソードがあることは知りませんでした。

で、1つ気になったんですが、三条家の香道の家業はこうして伝えられたようですが、江戸時代までに京都の公家がそれぞれ担っていた家業=宮中行事・伝統文化が、明治維新と東京遷都でどれほど残り、どれほど切り捨てられていったのだろうか・・・と。

記事中では“官から民へ移管”などと今風にウケそうな表現でごまかしていますが、三条実美ほどの(当時の)政界の実力者でも今回見つかった書簡を残すほど大変だったわけで、しかも香道を伝えた相手は東京ではなく京都の人。

世間でなんとなく持たれているイメージほどにはしとらすが明治維新(とそれによって成立した明治政府)を肯定的に捉えられない理由の1つは伝統文化の継承の点でして、神仏分離→廃仏毀釈以外にも、あるものは古いというだけで省みられることなくあっさりと、あるものは伝えるすべもなく泣く泣く消えていき、またあるものは乱暴に切り捨てられて・・・そうして失われていった日本の伝統文化がかなりの量に上るんじゃないかなぁ・・・と考えてます(ちゃんと検証したわけじゃないけれど)。

最近の特例会見騒動も真っ青の暴挙を、明治政府(ぶっちゃけ薩長政権)は日本文化に対して行ってたんじゃないの???・・・というのは言いすぎでしょうか。

「香道 鳩居堂へ伝授」 三条実美の書簡 京で発見
【京都新聞 2009年12月15日】

 明治の元勲で、太政大臣を務めた三条実美(さんじょうさねとみ)が上京して多忙になったことから、三条家として宮中で伝えてきた香道を香製造販売の老舗「鳩居堂」(京都市中京区)に伝授したことを記す書簡が、市内のギャラリーで見つかった。維新に伴い、香道を官から民へ移管する思いと、伝統を守ることができた喜びをつづっている。実美の文書は多数現存するが、香道の技法伝承を裏付ける意味から「重要な資料」といえそうだ。
 見つかったのは、実美が当時の京都府知事の槇村正直にあてた書簡2通。東山区の「ギャラリー上方」代表の三好一さん(74)が古美術品市で購入した。
 1通は明治10(1877)年の書簡(12月27日付)とみられる。三条家が宮中に献上していた香の調合法を鳩居堂8代目当主の熊谷直行に伝えたことを報告している。「香を遊戯とする向きもあるかもしれないが数百年の伝統を絶やすことは遺憾」とし、「技法を伝授できたことは風流で喜んでいる」との趣旨という。
 三好さんは「二人と親しい槇村が仲介役を果たしたのではないか」とみている。
 もう1通(3月22日付)は翌年の書簡とみられ、鳩居堂の香の完成度が高いことを喜び、明治天皇に献上したところ「和歌をいただき名誉なこと」との感慨も記されている。
 鳩居堂には実美直筆の調合法を記した文書が残っている。熊谷直久取締役(34)は「伝承がより確実になった。書簡から実美の喜びも伝わり、大変ありがたく光栄」と話す。
 また、12月の書簡には「博物館の額の揮毫(きごう)は来春に送る」ととれる文言があり、当時の府が京都御苑内に建設を計画していた京都博物館を指すとみられる。(樺山聡)

 ▽三条実美(1837~91) 尊皇攘夷派の公家として知られる。71(明治4)年に太政大臣となり、内閣制度新設に伴い内大臣となる。89(明治22)年に内閣総理大臣・黒田清隆の辞任で、約2カ月間、内閣総理大臣を兼任した。
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〔※写真:三条実美が当時の京都府の槇村知事にあてた書簡。香道を民間へ伝える感慨が述べられている(京都市東山区)〕